鹿児島の伝統野菜

鹿児島の伝統野菜

今のところ明確な定義はありませんが、種が鹿児島県在来のもので、古く(明治時代以前)から栽培の歴史があり、その地域にしかない野菜のことをいいます。
最近は全国各地でそれぞれ個性的な伝統野菜の栽培が盛んになっています。
鹿児島では、現在20品目の「かごしまの伝統野菜」を選定しています。

国分大根
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由来は不明だが、古くから姶良地域(国分、隼人)に栽培され、宮重大根の自家採取の中から生まれたのであろうといわれている。現在はあまり栽培されていないが、「鹿児島県園芸史」の著者、園田隼二氏によると、姶良郡西国分村浜之市付近で栽培されていたようである。
地上部は葉柄がやや上向きで淡緑色を帯び、葉肉は厚くなく、葉の切れ込みが深い。根部は円筒形で長さ40~42センチ、肉質は緻密で水分に富み、根部が地上に露出していることから、「飛び上がりダイコン」や「浜の市ダイコン」の別名があったと記載されている。

有良大根
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大島本島北部有良集落の家庭菜園や山手の畑に広く栽培されている。
特性は、晩生種で地上部は大きく、粗剛で耐暑性が強い。葉の大きさは葉長55センチ、葉幅15~16センチ、葉数35枚、根身部は白色でやや紡錘形、普通サイズが根径10~15センチ、根長45~60センチの中太り、根重2~4キログラム程度である。過去最大の大きさは根重15キログラムの記録があったといわれている。
草姿、根形とも南薩地方に栽培されている地ダイコンに似ていて、肉質に優れ、す入りの遅い品種である。
トイモガラ
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サトイモの中では最も乾燥を嫌い水分の多い日陰を好むので、樹木の木陰によく栽培されている。
サトイモの葉の中では大きい品種である。
葉は淡緑色で大きく、蓮葉芋に似て水平に展開する。葉柄は淡緑白で首部の屈曲はみられず、襟掛けはなく、ろう質で葉柄全体に薄いブルームを発現する。葉柄内には大きな空気孔が通り、独特のシャリ感がある。
皮をむいて調理するが、切った後、水にさらすことでえぐみを抑えることができる。

トカラ田いも
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トカラ列島で水を張った水田で栽培されている親芋専用種の田芋。以前はいたるところで栽培されていたが、現在はかなり少なくなった。清い水量の多いほ場が適地といわれている。
この芋の特徴を生かす食べ方は、水煮した芋の皮をむき、油で軽く炒め黒砂糖醤油でからめると、この芋特有の風味をだし、ホクホクした粉質の中に粘りや香りが感じられる。
その他、芋を水煮してつぶし、小麦粉を混ぜ、蒸し団子にしたり、つぶした芋をそのまま丸めて餅状にしたものがよく食べられている。
ミガシキ
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鹿児島に古くからあり、品種もいろいろ。一般的には葉柄部を利用するが、奄美や甑島では芋も食すことができる品種もあり、夏の貴重な食料として活躍していた。トイモガラと違い、皮のまま調理することができるが、えぐみがあるので苦手な人も多い。
安納いも
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「安納こがね」
特性は、頂葉色が淡紫~緑、いもの形状は円筒形。個重型で収量性が高く、肉色や蒸し芋はほとんど安納芋と同等の特徴があり、栽培しやすい品種。形状がよく豊産。
「安納いも」
特性は、頂葉色が紫、いもの形状は紡鐘形~下膨れ紡鐘形、皮色は褐紅色で肉色は黄、粘質で甘味が強く外観が優れる。個数型で収量性が高いが丸いもになりやすい傾向がある。焼き芋に最適。
「種子島ゴールド」
葉形に特徴があり、多欠刻で小葉、いもの形状は長紡鐘形、株あたり個数は少ないが、個重型、蒸し芋は濃紫、肉質は粉質で食味は中程度。ホクホクと美味しい。
かわひこ
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屋久島の代表的なサトイモ「かわひこ」は古くから栽培され、江戸時代以前に屋久島の屋久町栗生に伝来し、当時は地名をとって芋生(いもお)と呼んでいた。
別名「かばしこ」とも語られ、独特の香りから由来されたものと思われる。
さらに、子、孫芋は餅のように粘りがあり、「餅いも」ともいわれる。
さつま大長レイシ
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昭和40年代までは県内各地に多種な系統が見られていた。果長が35~40センチとやや細長く、両端が紡鐘状に尖った形状をしている。
果皮色は白緑色や緑色があり、現在の品種よりもやや苦みが強く感じられる。
はやとうり
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大正6年、日置郡永吉村の矢神隼氏がアメリカから鹿児島に持参し、試作したのが日本で最初の栽培。
「はやとうり」の命名は、当時の鹿児島高等農林学校長(現鹿児島大学農学部)であった玉利喜造氏が、薩摩隼人にちなんで名づけられた。別名「センナリ(千成)」「インドメロン」。本県の呼び方は「隼人ウイ」。
本県には白色種、緑色種がある。白色種は、果色が象牙色で果実は緑色種よりやや小さく、果肉はややかたく感じる。
緑色種は、果皮、果肉とも淡緑色で、切るとやや青臭さがあり、水分を多く含み柔らかく感じる。白色種に比べて葉がやや大きく、強健、豊産で加工用に向き、最近はこの品種が多く栽培されている。
へちま
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鹿児島では古くから食べられ、豚肉や魚と一 緒に煮て食べられていた。
ヘチマを食べるのは、鹿児島、宮崎、沖縄だけで、他県では「たわし」としての認識が高 いようである。
をむいて調理するが、ほとんどが水分なので火の加えすぎに注意。
ハンダマ
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キク科の植物で、表が緑、裏が紫の葉っぱが 特徴です 水前寺菜、金時草、春玉などいろ いろな呼び名があり、全国に見られる。
沖縄、奄美でハンダマと呼ばれ、昔からよく 食べられてきた。
葉の色が半分ずつ違う 事と、花が咲いた後に球状になる事からその名がついた。
伊敷長なす
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昭和の初めから鹿児島市の伊敷地方に栽培が見られ、昭和30年初めには県農業試験場で県内各地域から収集し、系統選抜試験が行われている。昭和40年代まで県内各地に栽培されていたが、揃いの良い多収な品種に変わり衰退していった。
葉色は濃緑で、形状はやや先とがり、紫の艶とテリが美しいボリューム感のある品種。

白なす
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味のよさと栽培が容易なことから、古くから 鹿児島では広く栽培されている。
果皮がやや硬いが果肉はとても柔らかく アクが少ないのが特徴。長ナス系と米ナス系があり、とろとろとした 食感から「薩摩トロ茄子」として全国に広められている。
葉にんにく
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ニンニクの原産は中央アジア。
日本での栽培は「本草和名(918年)」という書に「オオヒル」と記載されておりそれ以前に中国から伝来されたと思われる。
仏教では、その臭いから僧侶達には食べることが禁じられていたが、隠し忍んで食べたことから、隠語の「忍辱」が名前の由来だとも言われている。鹿児島では「ニンニッ」「ヒイ」、奄美では「フル」と呼ぶ。
特に奄美大島では、在来種が盛んに栽培され、古くからニンニクが炒め物、汁物、焼き肉など家庭料理に頻繁に使われ、奄美に長寿者が多いのはニンニクの効用が影響しているのではないかと思わされる。葉ニンニク栽培も盛んで、豚肉との炒め、卵とじ、すき焼き、油そうめんなどに使われる。
桜島大根
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鹿児島県の錦江湾に浮かぶ桜島は、故郷のシンボルであり、その島に育つ「桜島大根」は桜島同様雄大で、世界に誇れる巨大さを今でも保ち、鹿児島県人自慢の一つ。
桜島大根の起源は不明だが、1680年頃にある農家が愛知県の「方領大根」を持ち帰って育てた説や、国分地方の「国分大根」を西桜島で栽培中にできた説、桜島に自生していた「浜大根」の中から生まれた説などがある。
大きく育つ理由としては、桜島の気象が秋から冬にかけて温暖であること、耕土が深く、膨軟な土壌であるなどの環境に大きく関係してると思われる。世界一の桜島大根は、31.1kgとしてギネスに登録されている。
肉質は、緻密柔軟で煮崩れせず、生食にも適している。干し大根にしてもその甘さ、柔らかさは他の大根と比較にならないほどの美味しさである。
開聞岳大根
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確かな栽培の歴史は不明だが、伝えられている話等から明治初期から開聞町松原田集落を中心に開聞岳山麓で栽培されていた。
葉茎が一見傘をさしたように根身部を覆っている草姿から、地元では通称「葉かぶりダイコン」とも呼ばれていた。
親くい芋
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屋久島には戦前から「親くい芋」を正月料理に親芋丸ごと煮て食べる習慣が残されている。
かわひこ同様、親子兼用種で、茎色は青茎、芽は淡橙色、形状の良い子芋、孫芋がつきやすく結構美味しいサトイモである。
吉野人参
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「唐湊人参」は鹿児島市に古くから土着していた人参の品種で、「吉野人参」は鹿児島市の唐湊地域に古くから栽培されていた唐湊人参を系統選抜した改良系といわれている。
吉野地区は昭和40年初めまで盛んに栽培されていた主産地で、在来種は昭和の終わり頃まで見かけたが、現在はみかけなくなっている。
この品種の特性は、生食にも向き、肉質がやや硬く感じられる晩生種で、根色は橙色が多く、心の色は紅心と黄心の系統があった。
養母すいか
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大正末期、越中富山の薬売り者が種子を持参し、東市来に定着したのが始まり。
全盛期は昭和30年~40年初頭で養母地区を中心に県内に栽培されていた。
特性は、果実色が銀白色(黄白色)、大きさは果重6~9キログラム、糖度が10~11度程度でやや甘さに欠ける。シャリ感があり、水分が極めて多く感じられる。